30代からの転職人生~失敗から成功まで~

30代から転職を繰り返す人生を送り、最後の転職でようやくつかみ取った「成功」までのブログです。

進学塾その6

父兄からのクレームについては

 

①直接、子供の通う教室に電話のくるクレーム

②本部へ電話がいくクレーム

 

がある。恐ろしいのは②の場合で…

 

突然、本部のワンマン経営者から電話がかかってくる。

電話に出ると、既にブチ切れて一体何を言っているのか分からない

状態になっていて、「とにかくメチャメチャ怒られてるんだな」

ということだけは分かる。

 

電話が切れて落ち着いたのち、父兄に電話を入れ、話を良く聞き、

今後の対応策などを話し合い、穏やかに終わらせるようにするのが

教室長の能力となる。どうにもならない場合は、ご自宅に向かい、

お詫びに伺うことも。

 

生徒数が多いので、日々、何らかのこういったトラブルはあった。

父兄からのクレーム、子供同士のトラブル、成績の悩み、退塾の

引き止め、そして日々の授業、授業前と授業後の自習の監督と

質問対応…21:30勤務提示終了だが、実際には23時~24時になる

ことがザラにあり

 

それから自宅に帰る途中コンビニで弁当を買い、それを食べて

シャワーを浴びて即寝て、翌日午前中に起床という生活サイクル

だった。日々プライベートに費やす時間が作れなかった。

進学塾その5

進学塾…

お受験ブーム真っ最中の時代、医者や会社経営者の子供を預かり、

親の意向に合わせた難関校へと合格に導く仕事。こんな父兄を

相手にする塾なので、「年収800万円以上

なければウチの塾には通えない」

とも言われるような月謝・講習料だった。

 

お金をかけているだけに、親の子供に対する期待の大きさは

計り知れぬものがあったと思うが、かと言って、どの子も皆に

その能力があるわけではなく、親と子供の想いの乖離も大きく…

「能力がないのに無理な勉強をさせて子供を潰してしまうのでは」

という危惧を大いに持ちながら子供と一緒成長していった気がする。

 

親の望みは大きく、「開成に行かせたい」「灘に行かせたい」

ラ・サールに…」「久留米大学付設に何とか…」と、こちらの

プレッシャーはとにかく半端なかった。

 

毎週テストがあり、テストの点数でクラスの座席順が

決まるため、毎回のテスト後の座席順を見て、子供たちが一喜一憂

していた。

 

これも子供たちの「競争心」を煽る方法の一つであり、子供たちは

それを楽しんでいたような面もあるが、最上位クラスともなると、

定位置から座席が変わると大泣きする生徒、「もう辞める」と

ゴネる生徒も出てきて、父兄からも「ウチの子の座席順が落ちた!

どうしてくれるんだ!」というお怒りの電話をもらうことも多く…

 

親子、そしてオレたちそれぞれが大変だったな、と思う。

進学塾その4

進学塾での業務で大変だったこと。

 

②社内研修

 

  これは、年に1回、全県の社員を集め、新入社員紹介や表彰、

        就業規則の読み合わせ、教科別社員ミーティング、夜の親睦会

        までを「研修」という名目で行われていた。

 

  どの会社でも「研修」という業務はあるとは思う。でも、この会社は

  超ワンマン経営者とその奥さんが実質の

  運営者だったので、研修内容は経営者の訓示を一日中聞かされ、

       その後親睦会へなだれこみ、その日はその都市のビジネスホテルに

        泊まり、翌朝帰るというもの。

 

  経営者の話を一日中聞くのも、親睦会でお偉方のカラオケを聞かされ

  続けるのも、「苦痛」でしかなく…

 

  年に1回とは言え、この日が近づくと社員みんなのモチベーションが

  下がったものです。

進学塾その3

進学塾での業務で大変だったこと。

 

①ビラ配り

 

  これは、年に数回、新規生徒獲得のために無料テストや無料体験

        授業を実施するので、その案内チラシを作り、下校時間を狙って

        近隣の学校の校門に立ち、下校する生徒へチラシを配るもの。

 

  受け取る生徒もいるにはいるが、圧倒的に受け取ってもらえない

        orz

  あげく、「怪しい大人」扱いされることも。

  先生が出てきて、「許可なくこういうことをしないでくれ!」

        と怒られたこともあった。

 

  ビラ配りの時期になると、気が重かったのを覚えている。

  このご時世、今でもこれをやっているのだろうか…?

 

 

進学塾その2

講師としての一日の流れ。

 

13:00 出社

13:30~14:00 教室の掃除

14:00~16:00 授業の準備(プリント準備等)

16:00~    通塾してきた生徒の対応

17:00~    授業①(低学年)

18:30~21:00 授業②(高学年)

21:00~22:00 生徒見送り・保護者対応・居残り学習の

          生徒対応

22:00~    ミーティング(一日の反省、申し送り等)

23:00     終了

 

…と、まあこんな感じ。

 

13時出社ではあったけれど、当日の授業に向けた教材研究は

出社前にしなければならず、私はだいたい朝8時起床、9時から

教材研究をして出社していたので、

実質9:00~23:00働いていた。

おそらく塾講師って、どこでもこんな感じだろうと思う。

 

時間単位に換算すると大した給与ではないが、モチベーションは

生徒の成績が上がり、志望校に合格すること。それだけのために

7年間頑張り続けた。

 

学習塾その1

入社した学習塾は、いわゆる「お受験塾」

 

生徒は、ほとんどが医者や会社経営者の子ども。

 

本人の意志は関係なく、跡を継ぐことを「約束」され、

そうなるために激しい受験戦争を勝ち抜くべくして

通塾する子どもたち。

 

子供にかける親のお金と期待は想像以上。

 

そんな子供たちを預かる自分たちは、半端ないプレッシャー。

何としても「親の」志望校に合格させねばならない。

 

そんなプレッシャーの中で日々、仕事をしていた。

 

会社の規模は社員数100名程度。給与は25~30万円/月、

休日は4週6休、但し毎週日曜はテストのため、平日休み。

 

初任給としては、そんなに悪くないところだった。

 

 

1社目【学習塾: 1994年~2004年】

家庭の経済事情により、大学4年次に退学。

 

この頃、実家の商売が失敗し、オレも借金返済の

肩代わりをしなければならず、信販会社2社から借金。

 

大学に行くより就職の道を選択。

 

大学を卒業することの重要性が分かってなかった…orz 

(後の転職人生でこのことが大きな足かせとなってしまうことを

 この時のオレは予見できないのであった…笑)

 

所属していたゼミの教授に退学の旨を伝えに行くと、教授から

Fというコンビニ(現在三大コンビニの一つ)だったら就職斡旋

できるが、どうするか…?と打診があったが、丁重にお断り。

 

その後のコンビニ業界の隆盛を考えると、この話を蹴ったことは

もったいなかったな、とも思えますね。

 

結局、学生時代に時給の良い塾の講師をしていたので、就職も

そのままそこの進学塾に。

 

初の就職。

 

バイトの時は時給2500円とかなりの高時給だったので、「稼げる」

という意味で期待しての入社だった。